• 「主宰者の想い」

    木綿栽培の広く普及した江戸後期から化学染料が欧州から伝わった明治初期まで、日本の暮らしの布は木綿藍染でした。江戸時代から暮らしの中に生き続けた日本の布を「筒描」「絣・型染め」「襤褸」と体系だって集めたコレクションは大変に稀で、そこに寶水堂コレクションの意義があり、藍の布を通じて日本の貴重な生活文化を残そうとした父の並々ならぬ熱意を感じます。寡黙であったその父も平成十六年に亡くなり、長女である私がその布たちを引き継ぎました。

    平成19年の夏には、小田原城ミューゼで開催された『〝文様に込められた想い〝藍染筒描とガラスの出会い展』に出展の機会を頂き、寶水堂コレクションが広く皆様の目に触れる第一歩を歩み出しました。暮らしの中から生まれ、大切にされた布たち。願いや祈りが込められた意匠には、民芸品としての美しさを超えた感動があると、感嘆の声をお寄せ頂きました。これまであまり人の目に触れることのなかった布たちですが、人々の心を動かさずにはおかない力を持っているようです。

    これから父のコレクションを大切に守り、少しでも多くの方に見ていただき、日本の手仕事、日本の心を次の世代や、広く海外にも伝えていきたいと願っています。

    寳水堂コレクション学芸員 水野惠子

  • 「寳水堂コレクションについて」

    創樹社美術出版2008年2月「小さな蕾」掲載文より
    水野惠子

    小さな椿

    寶水堂(ほうすいどう)コレクションは、私の父水野義之(昭和四年~平成十六年)が,急速に失われてゆく農村文化を惜しむ気持ちから、情熱を持って集めた民具や民芸品のコレクションです。

    父の故郷は広島県中央の豊栄町安宿(あすか)で、奈良飛鳥に繋がる古代史にも 登場する長閑な里です。明治時代、義之の曽祖父が、敷地内に湧く豊かな水を利用し て一時期"紺屋"を営みました。その屋号「寶水堂」に因んで、"寳水堂コレクション" と名付けました。コレクションは大正ガラス・土人形・看板・稲作農具など多岐に渡ります。

    とりわけ先祖の紺屋の記憶に繋がる藍染古布は、布への深い愛着と想いを持って、 三十余年の歳月をかけて一点一点丁寧に吟味しながら集めたものです。晴(ハレ)の 布として「筒描(つつがき)」約三百点、日常の布として「絣・型染め」約百点、使い古した布を接いでさらに一枚の布として命を長らえた「襤褸(らんる)」約百点を数えます。
    「筒描」は、型染めでは表現できない大胆で個性豊かな構図と、伸びやかな線が魅 力です。布団表・風呂敷・油単が主で、暮らしの中で伝承されてきた様々な吉祥紋様 が描かれた保存状態も良い逸品が揃っています。職人の息遣いが感じられるかのよ うな力強い文様や、簡素ながらも華麗な意匠からは、時代を超えて今なお当時の庶民 の喜びや想いが伝わってきます。

    特に紺屋に特別に依頼してしつらえる嫁入り布団の表生地には、砧打ちした木綿の 藍地に多彩な色を挿した豪華な吉祥文が隅々まで詰まった六幅のものもあれば、浅 葱色など藍の濃淡のみの清楚で凛としたもの、堂々と家紋だけを染め抜いたものなど 、その意匠は様々です。経済力の差から生じる質の違いこそあれ、嫁ぎゆく愛娘の幸 せを願う親の心は同じです。

    また、出産を祝って贈られた出雲地方の孫拵え(むつき・湯上げ・子負帯)は、珍しい意匠も使われており貴重なものです。おむつには錨の模様が染め抜かれ、「子供も産まれたのだから、嫁ぎ先にしっかりと錨を下ろしてその家の人間になってほしい、幼子にはこの世に命を繋ぎ止めて欲しい」という親の願いや励ましの意味が込められています。湯上げは一角だけ朱く染められており、この部分で顔を拭いていました。「赤は魔除けや眼病・疱瘡除けに効果がある。」という風習が大切にされてきたことが判ります。そんな一枚一枚を手に取れば、大切にしまわれていたため色鮮やかに残っているもの、逆にしっかりと使い込まれ洗い晒されて温もりを増したものなど、生活の中にあった布ならではの歴史が感じられます。

    「絣」は、紡ぎ、染め、織りに各地の特徴が見られる資料的にも価値のあるものが吟味して集められており、久留米・伊予・備後など地域により異なる多彩な表現を見ることができます。また、兵隊や飛行機、正ちゃん帽をあしらった柄など当時の社会風俗を伺い得るものもあります。

    「襤褸」は、当時貴重品であった布が継ぎ接ぎされつつ大切に使い込まれ、色褪せ ながらも美しい表情を見せる珍品です。江戸後期から昭和中期まで使われていたもの です。一枚の布団地に二六八枚もの大小さまざまな藍布を繕ったものは、布を大事に した庶民の暮らしぶりを伝え、見るものを感動させます。継ぎ当てられた小さな端裂は、一枚一枚が日本の布の歴史であり、織りや染めの手法を後世に伝える布の標本で あると言っても良いでしょう。

    木綿栽培の広く普及した江戸後期から化学染料が欧州から伝わった明治初期まで 、日本の暮らしの布は木綿藍染でした。江戸時代から暮らしの中に生き続けた日本 の布を「筒描」「絣・型染め」「襤褸」と体系だって集めたコレクションは大変に稀で、そこに寶水堂コレクションの意義があり、藍の布を通じて日本の貴重な生活文化を残そうとした父の並々ならぬ熱意を感じます。寡黙であったその父も平成十六年に亡くなり、長女である私がその布たちを引き継ぎました。

    本年の夏には、小田原城ミューゼで開催された『〝文様に込められた想い〝藍染筒 描とガラスの出会い展』に出展の機会を頂き、寶水堂コレクションが広く皆様の目に触れる第一歩を歩み出しました。暮らしの中から生まれ、大切にされた布たち。願いや祈りが込められた意匠には、民芸品としての美しさを超えた感動があると、感嘆の声をお寄せ頂きました。これまであまり人の目に触れることのなかった布たちですが、人々の心を動かさずにはおかない力を持っているようです。

    これから父のコレクションを大切に守り、少しでも多くの方に見ていただき、日本の手仕事、日本の心を次の世代や、広く海外にも伝えていきたいと願っています。

  • 「藍の記憶」

    藍の記憶藍の記憶

    期間:2008年(平成20年)6月5日(木曜日)~2008年(平成20年)6月14日(土曜日)
    中国新聞 朝刊 文化面 緑地帯 8回連載